1 FOR ALL JAPAN 廃炉のいま、あした

1Fを守る仲間たち

志賀郁雄

2016年4月12日

INTERVIEW 07 未然に事故を防ぐためにも職場のコミュニケーションは大切

志賀郁雄志賀しが 郁雄いくおさん
東京パワーテクノロジー 株式会社
福島原子力事業所 工事部 機械設備グループ 主任

 本格的ほんかくてき稼働かどうに向け、最後の試験を行っている雑固体廃棄物焼却設備ざつこたいはいきぶつしょうきゃくせつび。使用済みの保護衣ほごいなどを安全に焼却しょうきゃくするもので、廃炉作業になくてはならない設備せつびの1つです。他社と協力しながらその作業を先導せんどうした、東京パワーテクノロジーの志賀郁雄しがいくおさんに、震災直後しんさいちょくごからの1Fでの仕事や工夫点をうかがいました。

雑固体廃棄物焼却設備ざつこたいはいきぶつしょうきゃくせつびは、もうすぐ本格稼働ほんかくかどうですね。

志賀さん:

 雑固体廃棄物焼却設備ざつこたいはいきぶつしょうきゃくせつび建設けんせつは、いくつかの会社が担当たんとうしており、当社では機器や配管のえ付け作業をけ負っています。今回の仕事では、20代後半から50代まで16人がグループを組み、私がリーダーをつとめています。2012年に焼却炉建屋しょうきゃくろたてや床下ゆかしたへの埋設まいせつ配管工事が始まって以来、ようやく本格的ほんかくてき稼働かどうが目の前にせまってきました。

仕事上で心がけていることはありますか。
志賀郁雄

志賀さん:

 こういう職場しょくばでは、人のつながりが大切です。私たちの会社は上司と部下も和気あいあいで、たまに言い合いをするときもあれば、大笑いするときもあるといった、家族のような雰囲気ふんいきです。同時に、情報じょうほうを共有することは事故じこ未然みぜんふせぐことにもつながります。当社では、1Fについての新しい情報じょうほうが届くと、社員全員に必ずメールをまわすように心がけています。

 また、現在げんざいの仕事のように、他社と共同で作業をする場合、コミュニケーションはとくに重要です。企業きぎょうちがえば気質きしつや考え方もちがってきます。実際じっさい、最初はとまどうこともありましたが、きちんと話し合って相手の考えを知ることで乗りえることができました。

普段ふだんできない仕事をやりげたことは自分にとっていい勉強になった

震災直後しんさいちょくごから1Fに入ったとお聞きしました。

志賀さん:

志賀郁雄

 わたしは、もともと発電所のメンテナンスの仕事をしていましたので、震災前しんさいまえも1Fには定期点検に来ていました。震災後しんさいごに1Fでの作業に参戦したのは、11年4月半ばからです。というのも、事故が起きたために、南相馬市の自宅じたくから、山形市にある妻の実家に一時的に避難ひなんしていたからです。2人いるむすめの教育が心配でしたので、山形での学校の問題が落ち着いてから、1Fにもどってきました。

 4月にもどってから、まず手がけたのは、2、3号機の建屋にたまった汚染水をく作業でした。1週間ほどしてから、今度はコンクリートポンプ車を使って、1、4号機の原子炉げんしろへの注水作業を3カ月続けました。日中はガレキを取りのぞく作業が行われていましたから、それが終わった夕方から夜にかけてがわたしたちの出番でした。

当時は放射線量ほうしゃせんりょうが高かったので心配だったのでは。

志賀さん:

志賀郁雄

 事故前の定期点検では、わたし原子炉建屋げんしろたてやではなくタービン建屋での作業でしたので、あまり放射線量ほうしゃせんりょうを気にすることはありませんでした。しかし、事故後は初めて放射線量ほうしゃせんりょうの高い場所で仕事をすることになりました。放射線ほうしゃせんは目に見えないものですから、正直なところこわかったですね。

 当時は、まさに線量との戦いでした。コンクリートポンプ車は遠隔操作えんかくそうさで水を出すのですが、定位置に置くまでは人間が操作そうさしなくてはなりません。その作業をなるべく短くして、ばくを少なくするのが大切でした。

 それでも、短い期間にかなりの線量を浴びたため、1年ほど2Fに行って点検業務をしていました。その後、1Fで雑固体廃棄物焼却設備ざつこたいはいきぶつしょうきゃくせつびの建設が始まるのに合わせて、12年に再び1Fにもどってきたのです。

どういうことにやりがいを感じますか。

志賀さん:

 わたしたちの会社では、通常は機械や設備のメンテナンス作業が中心です。もちろん、それも大切なのですが、今回は機器や配管のえ付けというめったにできない仕事ができたので、わたしにとっていい勉強になりました。基礎工事きそこうじからはじまり、どうやって機器をえたりポンプをせたりすればよいかを学ぶのは、やりがいがあると同時に、とても楽しい仕事でもありました。

故郷ふるさとに帰る日が来たら父からいだ土地で農業をしたい

ご苦労はありますか。

志賀さん:

志賀郁雄

 朝が早いのは大変です。現在はいわき市内の草野駅近くに単身赴任たんしんふにんをしており、朝6時に1Fに入るために、毎朝4時に起きて、4時半に家を出る生活が続いています。

 また、家族がみなバラバラで生活しているのは残念ですね。妻は避難先ひなんさきである山形の実家におり、わたしの母は南相馬市でらしています。長女は福島市でアパートらし、大学生の次女は千葉にいて、なかなかみんなが顔を合わせることができません。

休日はどう過ごしていらっしゃいますか。

志賀さん:

 日曜日はいわき市内で、会社の仲間とよくゴルフをしています。手頃な値段ねだんで1日遊べるのがいいですね。土日で連休がとれると、妻のいる山形に行ったり、南相馬の母をたずねたりしています。実は、震災しんさいの直前に父をくし、受けいだ実家の田んぼをまだ1回しか耕していません。そのまま避難生活ひなんせいかつに入ってしまったのですが、もどれる日が来たら、ぜひ農業に取り組んでみたいと思っています。

プロフィール
志賀郁雄しがいくおさん
  • 【出身地】福島県南相馬市
  • 【好物】サクランボ、リンゴなどの果物、牛肉
  • 【休日の過ごし方】ゴルフ
志賀郁雄

1992年入社。震災前しんさいまえ発電施設はつでんしせつのメンテナンスが主な業務ぎょうむで、1Fをはじめとして、各地の発電所の定期点検ていきてんけんたずさわっていた。1Fの作業が順調に進むことと同時に、福島と千葉に分かれて住んでいる2人のむすめさんの幸せを何よりも願っている。

つとめ先

東京パワーテクノロジー 株式会社

緑化管理や尾瀬おぜ環境整備かんきょうせいびなどを行う尾瀬林業株式会社(1951年発足)、発電やエネルギーに関する業務ぎょうむを行う東電工業株式会社(1954年発足)、環境かんきょうにかかわる施設しせつのメンテナンスなどを行う東電環境エンジニアリング株式会社(1955年発足)の3社を統合とうごうして、2013年に発足。発電に関連する設備せつびの工事、運転、メンテナンスをおもな業務として、震災後しんさいごの1Fにおいては原子炉げんしろの安定化工事や周辺地域しゅうへんちいき除染じょせん工事も行っている。

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